旅の栞(フランス)

10月25日 (地図)

ルーヴル美術館 [Musée du Louvre]


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ルーヴル美術館 (ルーブル宮)
1190年頃フィリップ2世(フィリップ・オーギュスト)[Philippe Auguste] はノルマン系英国人の脅威に対して、セーヌ川右岸に城砦を築いた。 これがルーヴルの礎となる。 1365~1370にはシャルル5世が、これを王宮に改築、シャルル6世の死後、眠りについたルーヴルであったが、1527年、フランソワ1世がパリに居を落ち着けることを決めると、1世紀にわたるこの深い眠りからやっと目覚める。  ルーヴルの改築は、フランソワ1世からルイ14世の時代まで続くことになる。 1678年、ルイ14世がヴェルサイユに王宮を移し、ルーヴル宮殿の主たる役割は、1692年以来収集されてきた古代彫刻などの王室美術品コレクションの収蔵、展示場所となった。 1692年にはルーヴル宮殿に、フランス学士院碑文・美文アカデミーと王立絵画彫刻アカデミーが収容され、1699年に最初のサロンが開催されている。 アカデミーはその後100年にわたって、ルーヴル宮殿に設置されていた。 そして、フランス革命下の憲法制定国民議会で、ルーヴル宮殿をフランスが保有する優れた美術品を展示する美術館として使用することが決定された。 美術館として正式に開館したのは1793年のことで、このときには、王室所有だった、あるいは教会財産から没収された絵画を中心として、537点の絵画が展示されている。 そして今、ミッテラン大統領の意向による「グラン・ルーヴル計画」が、次期大統領へと引き継がれ、次のステージへと、変貌を遂げつつある。
 
 
ルーブル美術館の見取り図
 ルーブル美術館の3つの翼 (ドゥノン、リシュリュー、シュリー) という名前は、ルーブル宮殿 (現在の美術館) の発展やフランスの歴史に深く貢献した「人物」に由来している。

 ドゥノン翼 (Denon)の由来元は、ドミニク・ヴィヴァン・ドゥノン (Dominique Vivant Denon) で、ナポレオン1世の時代にルーブル美術館の初代館長を務めた。
 
 リシュリュー翼 (Richelieu) の由来元は、リシュリュー枢機卿 (Armand Jean du Plessis, Cardinal de Richelieu) で、17世紀に国王ルイ13世を支えた宰相。
 
 シュリー翼 (Sully)の由来元は、シュリー公爵 (Maximilien de Béthune, Duc de Sully) で、16〜17世紀初頭、ブルボン朝の初代国王アンリ4世に仕えた最高財務責任者(宰相)。

尚、  フランスの建物の階の数え方は、日本とは1つずつズレが生じる。 
  フランスの「レ・ド・ショセ(RDC / 0階)」 = 日本の 1階(地面と同じ高さの階) 
  フランスの「1階(1er étage / プルミエ・エタージュ)」 = 日本の 2階 
  フランスの「2階(2e étage / ドゥジエム・エタージュ)」 = 日本の 3階

ナポレオン広場 [Cour Napoléon] の地下エントランス (09:27)
この上にはナポレオン広場があり、天井の明るくなっている部分が、ガラスと金属で制作されたルーヴル・ピラミッドで、ここは、その下部にあたる。 因みに、このピラミッドに使用されているガラスは、伝統を重んじ、ヴェルサイユ宮殿の鏡の間に使用されている鏡と同じ製造所のガラスが使用されている。 (館内見取り図)
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ナポレオン広場 [Cour Napoléon] の地下エントランス (09:30)
落成したのは1988年10月15日、従来の宮殿入口には、多数の来館者をさばききれず、行列ができるという問題があったが、この広大な地下エントランスが出来てからは、その問題はなくなった。 (館内見取り図)
MAPLay.1 A
カリアティード [Cariatide] の広間 (09:36)
ルーヴルで一番古い部屋 (日本では室町時代にあたる) 。 入口の上にはバルコニーがあり、その上に横たわっている女性像はアンリ2世の愛妾、ディアーヌ・ド・ポワチエ [Diane de Poitiers] だと言われている。 この間はダンスバーティーの間とも呼ばれ、バルコニーはダンスパーティー用の音楽隊席として使用されていた。 バルコニーを支える4本の柱には ジャン・グージョン [Jean Goujon] 作の女像彫刻が施されており、カリアティード (女像柱) はこの柱に因んだ名称である。 因みに、この彫刻は国宝に指定されている。 (館内見取り図)

フランスの建物の階の数え方は、日本とは1つずつズレが生じる。

      フランスの「レ・ド・ショセ(RDC / 0階)」 = 日本の 1階(地面と同じ高さの階)
フランスの「1階(1er étage / プルミエ・エタージュ)」 = 日本の 2階
フランスの「2階(2e étage / ドゥジエム・エタージュ)」 = 日本の 3階

MAPLay.1 B
アフロディテ像 通称 「ミロのヴィーナス」[Vénus de Milo] (09:42)
当時トルコ領だった、キュクラデス諸島のミロ島でギリシア人農夫によって発見された。 フランス大使のリビエール侯爵は即刻、トルコ政府に対し購入交渉する一方、細心の発掘を平行。 1821年にルイ18世へ寄贈された。 ギリシア彫刻の黄金時代である紀元前5~4世紀頃への憧憬を込めて製作されたヘレニズム時代の傑作で、紀元前100年頃に制作されている。 因みに、この部屋はルイ14世の母、アンヌ・ドートリッシュ [Anne d'Autriche] の浴室であった場所。
(館内見取り図)

フランスの建物の階の数え方は、日本とは1つずつズレが生じる。

      フランスの「レ・ド・ショセ(RDC / 0階)」 = 日本の 1階(地面と同じ高さの階)
フランスの「1階(1er étage / プルミエ・エタージュ)」 = 日本の 2階
フランスの「2階(2e étage / ドゥジエム・エタージュ)」 = 日本の 3階

MAPLay.1 C
マルスのロトンド [Rotonde de Mars] (09:45)
嘗て、骨董品博物館の入口だった "マルスのロトンド" (軍神の円形広間) の天井には、煌びやかな浮彫や彫刻で彩られたジャン=サイモン・ベルテルミ [Jean-Simon BERTHÉLEMY] 作 (1802) の天井画がある。 しかし、 非常に劣化したため1826年にジャン=バティスト・ムゼイサ [Jean-Baptiste MAUZAISSE] によって改装されている。 ギリシャ神話では、プロメテウス [Promētheus] は天界から火を盗んで人類に与えたとされている。
(館内見取り図)
MAPLay.1 D
マルスのロトンド [Rotonde de Mars] (09:45)
Rotonde de marsは、建築家Louis Vauによって設計され、もともと、アンヌ・ドートリッシュ(ルイ14世の母)の夏のアパートメント*と彼女の冬のアパートメントをつなぐ通路で、サロンを兼ねた造りになっていた。 (1655年-1658年)
(館内見取り図)
MAPLay.1 D

* アパートメント(apartment)の元来の意味は、「分けられた部屋」や「建物の中で独立した一区画の住居」。
サモトラケのニケ [仏:Victoire de Samothrace] (09:47)
この像は1863年フランス人領事 (シャルル・シャンポワゾ) によって、エーゲ海北部に位置するギリシアのサモトラケ島(現在のサモトラキ島)の聖域から発掘されていた。 この地がロドス人の航海安全と戦勝を祈る場所であり、また紀元前190年にロドス人がシリアとの海戦に勝利を収めていることから、この像は海戦の勝利者たちによって奉納されたものと推論されている。 ところで、重要な彫像をこの様な階段上に展示するのは何故か? 実はこのサモトラケのニケ像は山の頂上から発掘されており、なるべく発掘された環境に近づけるため、観る角度等を考慮して展示しているそうです。 (大理石製、全長328cm) (館内見取り図)
MAPLay.1 E
サモトラケのニケ [英:Winged Victory] (09:49)
ヘレニズム時代の特徴を有する勝利の女神ニケの彫像 (大理石製) 。 船首を模した大理石の台座に載っておりフィギュア・ヘッド(船首像)を模した様式であることから海戦の勝利を記念した像であろうと考えられている。 因みに、スポーツ関連商品を扱う "ナイキ [Nike]" の商標は、このニケがもとになっている。 (館内見取り図)

フランスの建物の階の数え方は、日本とは1つずつズレが生じる。

      フランスの「レ・ド・ショセ(RDC / 0階)」 = 日本の 1階(地面と同じ高さの階)
フランスの「1階(1er étage / プルミエ・エタージュ)」 = 日本の 2階
フランスの「2階(2e étage / ドゥジエム・エタージュ)」 = 日本の 3階

MAPLay.1 E
サモトラケのニケ [ギリシア:Νίκη της Σαμοθράκης] (09:59)
最初の発見は1863年で、フランス領事シャルル・シャンポワゾによって胴体部分が見つけられた。 それに続いて断片と化した片翼が見つかった。 断片は全部で118片にのぼり、その後復元された像は1884年にルーヴル美術館の『ダリュの階段踊り場』に展示されている。 右腕は1950年に発見されたが、透明ケースに入れた状態で保管展示されている。 (館内見取り図)
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アポロンのギャラリー [La galerie d'Apollon] (09:50)
ヴェルサイユ宮殿から多くの宝物などが移され展示されている。 天井はヴェルサイユ宮殿の鏡の間と同様の形式をとっている。 (館内見取り図)
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アポロンのギャラリー [La galerie d'Apollon] (09:51)
壁を飾っているのはタペストリー (ゴブラン織り) 。 (館内見取り図)
MAPLay.1 F
アポロンのギャラリー [La galerie d'Apollon] (09:53)
陳列ケースの中には、水晶、メノー、瑠璃、ジャスパーなどで作られたルイ14世時代の器が展示されている。 (館内見取り図)
MAPLay.1 F
六人の天使に囲まれた荘厳の聖母 [La Vierge et l'Enfant en majesté entourés de six anges] (10:05)
ドアの左に位置する絵画はサンタ・トリニタ聖堂(フィレンツェ、ウフィッツィ美術館所蔵)の《マエスタ》の遥か前の1280年頃に制作されたチマブーエの早期作品。 六人の天使に囲まれた荘厳の聖母は神の子と共に玉座に座し、天上の女王として讃えられる聖母の主題を、きわめて印象的な絵画として描き出している。 (館内見取り図)
MAPLay.1 G
アッシジの聖フランチェスコの聖痕拝受 [Saint François d'Assise recevant les stigmates] (10:08)
ジオット・ディ・ボンドーネ作 (1295/1300頃 ? ) 。 1550年と1568年に、ヴァザーリによるピサのサン・フランチェスコ聖堂にあったという記述がある祭壇画で、おそらく翼廊の礼拝堂からもたらされた作品と思われる。 アッシジの聖フランチェスコ(1182-1226年)の生涯を描いた四つの場面 (絵の下の部分) は、ジォットの作品と考えられているアッシジのサン・フランチェスコ聖堂の上階教会堂内部に描かれた聖者の生涯のフレスコ画と関連付けることが出来る。 (館内見取り図)
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聖母戴冠 [Le Couronnement de la Vierge] (10:09)
フラ・アンジェリコ作 (1430/35頃) 。 おそらくはガッディ家の発意により、フィレンツェ付近のフィエーゾレにあるサン・ドメニコ修道院の中央祭壇のひとつのために制作された祭壇画であり、フラ・アンジェリコは後にこの修道院の院長となっている。 人物像に見られる彫塑的な堅固さと、遠近法のきわめて入念な研究が、若きフラ・アンジェリコに及ぼしたマザッチオの影響力を物語っている。 (館内見取り図)
MAPLay.1 G
デノン 2階サロン·カレ ルーム3 [Denon 1er étage Salon Carré Salle 3] (10:09)
注:フランス語の 1er étage は日本では2階に相当する。 ヨーロッパ諸国では日本で言う1階はグラウンドやロビーなどと呼び、2階から1階、2階、3階・・・・・・・と数えて呼んでいる。
(館内見取り図)
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聖母子と聖ジュリアン、ミュラの聖ニコラウス (10:15)
(原作名:La Vierge et l'Enfant entre saint Julien et saint Nicolas de Myre) ロレンツォ・ディ・クレディの作 (1490/92頃) 。 サンタ・マリーア・マッダレーナ・ディ・パッツィ聖堂より1812年にルーヴルに入った。 (館内見取り図)
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(10:16)
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(10:16)
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デノン 2階大ギャラリー ルーム5 [Denon 1er étage Grande Galerie Salle 5]
注:フランス語の 1er étage は日本では2階に相当する。 ヨーロッパ諸国では日本で言う1階はグラウンドやロビーなどと呼び、2階から1階、2階、3階・・・・・・・と数えて呼んでいる。
(館内見取り図)
岩窟の聖母 [La Vierge aux rochers] (10:16)
レオナルド・ダ・ヴィンチ作 (1483 ?) 。 ルイ12世のコレクション (?) 。 (館内見取り図)
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天使の聖母 [Vierge aux anges] (10:23)
アンドレア・デル・サルト作 (1515/16頃) 。 フランソワ1世のコレクション。 (館内見取り図)
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聖母のエリサベツ訪問 [La Visitation ] (10:23)
セバスティアーノ・デル・ピオンボ作 (1521) 。 フランソワ1世のコレクション。 (館内見取り図)
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悪魔と戦う聖ミカエル [Saint Michel terrassant le démon, dit Le Grand Saint Michel] (10:24)
ラファエロ・サンティ作 (1518) 。 フランソワ1世のコレクション。 (館内見取り図)
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バルダッサール・カスティリオーネの肖像 [Portrait de Baldassare Castiglione] (10:25)
ラファエロ・サンティ作 (1514/15頃) 。 ルイ14世のコレクション、1661年に取得。 (館内見取り図)
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聖女カタリナの神秘の結婚 [Le Mariage mystique de sainte Catherine] (10:27)
コレッジオ (本名アントニオ・アレーグリ) 作 (1526/27頃) 。 ルイ14世のコレクション。 (館内見取り図)
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カナの婚宴 [Les Noces de Cana] (10:29)
ヴェロネーゼ (本名 パオロ・カリアーリ) 作 (1562/63) 。 ヴェネツィア、サン・ジォルジォ・マッジォーレ女子修道院より1798年に入る。 (館内見取り図)
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モナ・リザ [Monna Lisa] / 別名:[伊: La Gioconda、仏: La Joconde] (10:36)
レオナルド・ダ・ヴィンチ作 (1503/06頃) 。 フランソワ1世のコレクション。
モデルとなった実在の女性リザ・デル・ジョコンド [伊: Lisa del Giocondo] は、イタリアのフィレンツェとトスカーナの旧家であるゲラルディーニ [Gherardini] 家の女性で、夫であるフランチェスコ・デル・ジョコンドがルネサンス盛期の画家レオナルド・ダ・ヴィンチに依頼して描かせた肖像画。 リザの名前から "モナ・リザ" [Monna Lisa] / [Mona Lisa]*と呼ばれている。 (館内見取り図)

* イタリア語の [ma donna] は「私の貴婦人」を意味し、短縮形で [mona] と綴られる。 しかし、現代イタリア語では [madonna] の短縮形は [monna] となることが多い。
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モナ・リザ (別名 ラ・ジォコンダ) (10:37)
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モナ・リザ (左壁面) (10:39)
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田園の合奏 [Le Concert champêtre] (10:42)
ティツィアーノ・ヴェチェリオ作 (1510/11頃) 。 ルイ14世のコレクション。 1671年に取得。 (館内見取り図)
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デノン 2階ダル ルーム75 [Denon 1er étage Daru Salle 75] (10:46)
アンヌ = ルイ・ジロデ・ド・ルーシー = トリオゾン作 (1793) 《 エンデュミオンの眠り [Le Sommeil d'Endymion] 》1818年取得 (青→) 。 ジャン = ジェルマン・ドルーエ作 (1786) 《 ミントゥルナエの囚人、マリウス [Marius prisonnier à Minturnes] 》 1816年取得 (赤→) 。 ピエール = ナルシス・ゲラン作 (1799) 《 マルクス・セクストゥスの帰還 [Le Retour de Marcus Sextus] 》 1830年取得 (黄→) 。 (館内見取り図)
注:フランス語の 1er étage は日本では2階に相当する。 ヨーロッパ諸国では日本で言う1階はグラウンドやロビーなどと呼び、2階から1階、2階、3階・・・・・・・と数えて呼んでいる。
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ホラティウス兄弟の誓い [Le Serment des Horaces] (10:47)
ジャック・ルイ・ダヴィッド作 (1784) 、ルイ16世のコレクション。 (館内見取り図)
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Notre-Dame de Paris, le 2 décembre 1804 (10:51)
ナポレオン1世の大聖堂ノートルダムでの聖別式とジョゼフィーヌ皇后の戴冠、1804年12月2日。 ジャック・ルイ・ダヴィッド作 (1806/1807) 、ナポレオン1世の依頼による作品。 (館内見取り図)
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罪悪を追う正義と崇高な復讐 [La Justice et la Vengeance divine poursuivant le Crime ] (10:56)
ピエール・ポール・プリュードン作 (1808) 、パリ裁判所のために依頼。 1826年にパリ市当局と交換。 (館内見取り図)
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グランド・オダリスク [La Grande Odalisque] (10:57)
ジャン・オーギュスト・ドミニック・アングル作 (1814) 。 1899年に取得。 (館内見取り図)
MAPLay.1 K
メデューズ号の筏 [Le Radeau de la Méduse] (10:58)
テオドール・ジェリコー作 (1819年のサロンに出品) 。 1824年に取得。 (館内見取り図)
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民衆を導く自由の女神、1830年7月28日 [La Liberté guidant le peuple] (11:03)
ウジェーヌ・ドラクロワ作 (1830) 、1830年に起きたフランス7月革命を主題としている。 1831年のサロンで取得。 (館内見取り図)
MAPLay.1 L
サルダナパールの死 [La Mort de Sardanapale] (11:06)
ウジェーヌ・ドラクロワ作 (1827/28のサロンに出品) 。 1921年に取得。 (館内見取り図)
MAPLay.1 L
瀕死の奴隷 [Captif_L'Esclave mourant] (右) 、抵抗する奴隷 [Captif_L'Esclave rebelle] (左) (11:11)
ミケランジェロ・ブオナローティ作 (1513-1515) 。 教皇ユリウス2世の墓廟のためにこの像を制作した。 因みに、これらの呼び名は後世につけられたもので、真実は謎のまま。 (館内見取り図)
MAPLay.1 M
デノン 1階ミケランジェロギャラリー ルーム4 [Denon Rez-de-chaussée Galerie Michel-Ange Salle 4] (11:13)
(館内見取り図)
MAPLay.1 M
逆さピラミッド (11:31)
ルーヴル美術館前にあるショッピングセンター「ルーヴル・ド・カルーゼル」に設置された採光窓。 ルーヴル・ピラミッドの上下を逆さまにして小型化した形状をしている。 (館内見取り図)
MAPLay.1 N
オペラ・ガルニエ [L'Opera Garnier] (11:45)
帰国のためシャルル・ド・ゴール空港へ向かう途中の車窓から。
「北北西」MAPLay.2 A
オペラ・ガルニエ [L'Opera Garnier] (11:47)
帰国のためシャルル・ド・ゴール空港へ向かう途中の車窓から。
「南東」MAPLay.2 B
シャルル・ド・ゴール空港 (14:08)
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Lay.2 C
Aéroport de Paris-Charles-de-Gaulle (18:10)
MAP
Lay.2 C

"エールフランス"のストのため帰国できず延泊。
搭乗手続きが済んでからのストのため、預けた荷物は倉庫内で足止め、
そのため手荷物だけで不便な一夜を過ごしました。
さらに、帰りの航空機はまとまったチケットが取れず、モスクワ経由で帰る
人や、ヘルシンキ経由で帰る人、ミラノ経由で帰る人など、帰路はバラバラで
思い出に残る体験をしました。
結局、日本に荷物が届いたのは、帰国して一週間後でした。

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